皆様、こんばん皿うどん。(挨拶)
いつもお世話になっております。さかえです。
さて、今回は「今後の方針」の最新版としての記事をお届けします。というのも、前回で終わるはずだった「今後の方針」が思いもよらない形で変わったためです。全ての夢や未来が「諦めなければ何とかなる」というわけではありませんが、もしかすると誰かの背中を押せるかもしれないと考え、今回記事を記すことにしました。
なお、読みやすさ等を優先し、以降は敬体でなく常体となることをお許しください。
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あの暑い夏の日に、挑戦は全て終わったはずだった。
死力を尽くして描き、「ニュートリノ」と名付けたそのオリジナル漫画は結果を出せなかった。少なくとも自分が設定した「今後も挑戦し続けるための3つの条件」のうち、いずれも超えることはできなかった。その条件とは以下のとおりである。
1:漫画作品で何らかの賞を受賞する(最終候補に残る、は含まない)
2:漫画作品で商業的連載権を獲得する(SNSバズ経由を含む)
3:漫画を共に創りたいと言ってくれる編集さんと巡り合う
「将来の夢」を語るにはしわの増え過ぎた手のひらを眺め、それでも振り返った時に後悔しない人生を歩みたいと思い挑んだ日々だった。或いは微かな希望があると、未来があると信じなければ日常が苦しかった。フルタイムで働きつつ当初の構想から70頁強を描き終えるまで約1年と少しの時間を要した。
本来、この作品はもう少し早く完成する予定だった。だが、人生は良くも悪くも何が起こるかわからない。ようやくペン入れという段階で家族に命の危機が訪れた。看護が必要だったが職場からは看護休暇が受理されなかったため、描く時間と寝る時間をひたすら削った。創作は遅れに遅れた。早春に開催された地方の個人誌即売会では主線とベタのみの臨時版で参戦し、その場で5冊頒布、新刊交換1冊、見本誌提出1冊、終了後にSNSを通じて「欲しい」と言ってくださった方々にお渡ししたのが4冊、この計11冊が私の手を離れただけだった。出張編集部では酷評された。
様々なものを削った甲斐と、運良く最先端の治療法を受けられたこともあり、家族の命は何とか最悪の事態を免れた。代わりに私の利き腕は故障し通院することになったが、些細なことだった。その後も予断を許さぬ状況は続いたが、多くの人がお盆休みと呼ぶその頃には何とか完全版として形にすることが出来た。
「自分に嘘をつかず進んでほしい」
読んだ人の将来にそう願いを込めた物語には、「小さくても全てをぶち抜く輝き」「まだ知られていない可能性を諦めない」の意味を込めて「ニュートリノ」と名付けた。
実は、この作品にはいくつかのバージョンがある。
1つ目は、ネーム版。多くの編集部に見てもらえる機能が売りのサイトで公開したもの。
2つ目は、上述した臨時版。参加した即売会から「Q8版」と名付けている。
3つ目が、閲覧数などでランキングされる投稿サイトに公開した「最終版」である。
ネーム版は閲覧数が3桁に届かず、臨時版は上述のとおりの頒布数、最終版も確認した時点では閲覧数は170程度で、そもそも「見てもらう」というハードルを越えられなかった(見ていただいた方、応援してくださった方、評価してくださった方に心から感謝したい)。
頁数が多く構成が下手だったり、宣伝が下手だったりと、多くの面で自分の実力不足を感じたが、それ以上に「全力を出しても全然通用しなかった」という気持ちが強かった。「あぁ、私はもう目指してはいけない人間なのだ」と感じた。描いたメッセージも全然伝わらなかったのだと哀しくなった。同じく地方に住む素晴らしい創作者の方から「地方民以外には伝わりにくいかもしれないが、伝わる人には深く胸に刺さる物語だと思う」と言っていただけたことは救いだったが、職場では時代の波に応じて新たなシステムを導入しなければならず、その対応に追われる忙しさに、挑戦という名の灯は消えた。同時に、見たくもないものを無理やり見せているという罪悪感からいくつかの線を断ち切った。
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暦の上では秋を迎えるもまだ暑い頃、私は関東にいた。新たなシステムに対応するための会議に参加していたのだ。ありがたいことに会議の後の懇親会の席で複数の方から転職のお話を頂いた。以前の看護休暇不受理の件もあり、このまま働き続けることに疑問を持っていた私は、これを機に新しい地で新しい生き方をするのも悪くないと考えていた。新しいことを覚えることで忙しくなれば、もしかすると描くことへの熱意も全て忘れることが出来るかもしれない。家族の命の危機は脱したが、治療にはまだまだ金が要る。仕送りだけを続けて、そう生きようかと考えていた。(ちなみに、この会議での内容が最新作のアイデアの元になる)
翌日、地元へ帰る飛行機に乗るまでに時間の余裕があった私は、偶然にもあるお方と食事をすることになった。ジャンルは違うが、長い間プロとして漫画を描き続けている作家さんだ。声をかけようか迷っていたが、「この機会を逃すと永遠に会えない気がする」と思い声をかけた。断られてもよかった。振り返った時に後悔はしたくなかったのだ。
結果、貴重な時間を割いていただき遅めの昼食をご一緒した。とても勉強になる時間だった。それでもまだ心のどこかで「もう自分には関係ない話かもしれない」と思っていた。だが、そこで2つの灯が与えられる。「あなたの作品には、あなたが先ほど好きだといったその作者に通じる良いポイントがある」「先日完成させた作品を読んだが、その歳であの熱量を描けるのは強みかもしれない。少なくとも、どこからも未発見でいていいレベルではない」要約するとそういうお話だった。帰りの飛行機の中、再び挑むか否かを考えていた。空港では、昼食後に購入した2冊の単行本を読んでいた。
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月末が近付く頃、私は「ニュートリノ」の結果に疑問を抱いていた。傲慢かもしれない。だが理由はあった。1つは、少ないながらも賞レースを兼ねた投稿に対し、「完成度が高い」と評価をしてくれた人がいたこと。もう1つは、先日の食事での言葉により、他のレースに挑んでみれば違う結果になるのではないかという疑問が生まれたことだった。そこで少しだけ、そういう挑戦をしてよいかどうかアンケートをとってみたところ、全員から「挑戦すべし(してもよい)」という回答を頂いた。そこで、ジャンルにあまり縛られない、自由で、挑戦的で、革新的な場所を探して最後の悪あがきをしてみることとなった。
思えば、先述の作家さんとのご縁も、「斬新で挑戦的な楽曲」を創っているコンテンツに惹かれて結ばれたものだった。そのコンテンツには様々な魅力があるが、私が最初に気になったのはその点だった。であれば、その感情に従って挑んでもいいのではないか。こんなボロボロになっても、まだ応援してくれる人達がいるじゃないか。落選したってこれまでと同じだ。傷が増えるぐらい何ともない。思えば不測の事態で完成が一年遅れた。その分、この一歩分だけ、アディショナルタイムと思って進めばいい。空港で読んだ単行本のうち、1つの出版社が丁度月末期限の賞を開催していた。単行本の内容は、自分では絶対描かないデスゲームもの。過去の受賞作も私の作風とは全然違うものばかり。勝ち目はない。いや、違う。私はむしろジョーカーだ。それでいい。飛び込め!
この行動を、何と呼べばいいのだろう。ひどく不格好に見える、可能性なんて万に一つしかないような、無謀より勝算のないこの挑戦を。
三振振り逃げ、自陣から狙うブザービーター、或いはセットプレーで最前線に出てくるゴールキーパー。表現するならそんな泥まみれの挑戦を行った。今度こそ、最後にする。あまりにも格好悪い挑戦をして、情けなく敗れて、今度こそ潔く散ろうと思った。
結果はご存じのとおりである。受賞もデビューも出来ていない。
だが少しだけ未来は変わった。私は現在、新たな始まりに向け数々のプロットやネームを創っている。御存じない方向けに簡単にご説明すると、プロットは物語の基礎設計図、ネームは漫画の下描き…の更に下描きだ。まだ生まれてすらいないのに、既に多くの紆余曲折や没が存在する現状は、正直苦しいがとても楽しく充実している。「よりよいものを創る」という目的のもと、指導を仰ぎ、意見をぶつけ合い、目的に向かってどの選択肢がベストなのかを何度も模索する。実を言うと今現在も新たに出てきた壁にぶつかり、それをどう突破しようか悩んでいる最中で、いいイメージが浮かばなさ過ぎてこの記事を書いている。
今はまだ、延長戦を戦っているに過ぎない。まだまだゴールを決めなければならないし、その先だって壁はたくさんある。自分に才能がないことは、自分が一番解っている。不格好に挑むことに抵抗が無かったわけじゃないし、今も全く苦しくないかと言えば嘘になる。だが、これは必要な痛みだし、振り返って後悔はしない。今はただ、「10巻も20巻もなんて自分が…」と言いかけた言葉に対し、「そこまでいくことを目指してほしい」と言ってくれた言葉を信じて戦うだけだ。宣伝も重要な要素になる中で、SNSも上手に使えない年寄りがどこまでいけるかわからない。それでも戦う。
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勉強、芸術、スポーツ、料理、生活、音楽、恋愛、人生。
多くの場面において、今、もし悩んでいる人がいたら、恐れず挑戦してほしい。笑いたい奴には笑わせておけばいい。泥にまみれて進んだ道で、輝く星もあるだろう。答案用紙はわからなくてもとにかく埋めればいい。花屋の渋谷さん家の看板娘もそう言っていた気がする。そう言えば徒競走も、ゴールより少し先をゴールだと思って全力で走れと言われていたし、日本語には土俵際という言葉もある。探すのをやめた時に見つかることもよくある話だ。
三振したら振り逃げすればいい。アウトになって当たり前と思えば少しは気が楽だ。私だってここまで来るのに何度落選したことか。だけどそれを恥だとは思わない。唯一恥じることがあるとすれば、ブザービーターを狙いに行かなかったあの夏の日だ。あのまま終わっていたら数年後に振り返った時、やはり後悔していた気がする。弱い自分を助けてくれた、周りの人達にあらためて感謝を申し上げたい。
今はただ、延長戦のその先を目指して。
そういうわけで、ありがたいことに延長戦を戦うことになりました。
良い結果をご報告できるかどうかは解りませんが、必死に戦うがゆえに呟きやゲーム等は(もともとあまりしておりませんでしたが更に)あまりできなくなりますので、ご了承願います。負けてもともとなのですが…後悔より傷跡を選び、もう少しだけ戦います。いつか色んな苦しみを、笑って話せる日が来るといいなと思いますので、心の隅でぼんやりと応援していただければ幸いです。